ご挨拶

烏山上町会の活動をもっと皆さんに知って頂きたいと思いホームページを作成しました。

町会は地域で防犯、火事、消防団、子供の見守り等の仕事をしております。
そして新たに最も重要な事は防災だと考えております。

東京で過去にあった大地震は100年毎に来ています。
関東大震災から100年目に入った今、避難所を運営する町会として様々な疑問点を洗い出し、
それを改善して行かなければなりません。
それは町会だけの問題ではなく、地域に住まわれている皆様自身の問題でもあるからです。
東日本大震災、そして熊本地震があって、方向転換をしなければならないことも分かりました。
防災の一番新しい情報を発信して行こうと思います。

時折、このホームページに来て新しい情報を探してください。
皆様のお役に立つホームページを作って行こうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

烏山上町会 会長 古馬 一行

烏山上町会の範囲や、部会についてご紹介します。

烏山上町会の範囲
烏山上町会の部会
烏山上町会の主な活動
町会の歴史

烏山上町会の範囲

図の黄色く塗られている部分が烏山上町会の範囲です。

以下の住所にお住まいの方が対象となっています。

北烏山5丁目2~6、17~23
北烏山6丁目5~19、25~32
北烏山7丁目~9丁目全域

南烏山4丁目11・12
南烏山5丁目12~36
南烏山6丁目1~9・11・13~38

給田4丁目25-22・23・24

烏山上町会の部会

烏山上町会では、10の部に分かれて活動しています。

総務部
広報部
防火防災部
防犯部
交通対策部
地域推進対策部
婦人部
環境対策部
オウム対策部
加入促進部

総務部

毎月の回覧物・敬老祝い品・班長、組長への謝礼品等の仕分け・配布
国勢調査の仕分け事務
総会と定例役員会の運営
選挙立会人の選任

広報部

ホームページ、SNSを活用した活動のPR

防火防災部

防災訓練参加・指導
避難所運営訓練参加・指導
D型ポンプの保守点検
防災資機材の調達
防災講習会参加促進
救命講習会参加促進

防犯部

年末パトロールの引率
防犯講習会の参加促進

交通対策部

春・秋の交通安全運動への参加促進

地域推進対策部

町会バス旅行の企画・実施

婦人部

定例役員会の受付
各班長への配布品の仕分け

環境対策部

ごみ減量リサイクル
古着回収キャンペーンの参加促進

オウム対策部

オウム反対集会・学習会
オウム対策リサイクルバザー参加促進
オウム監視小屋当番への参加促進

加入促進部

町会加入者の勧誘促進

烏山上町会の主な活動

避難所運営訓練

世田谷区や学校と合同で、毎年実施しています。

全国交通安全運動

年2回、春と秋の実施に参加しています。

日帰り旅行

楽しい日帰り旅行を企画しています。

町会の歴史

江戸時代

江戸時代、5人組は住民の顔役であり、政治にもかかわりを持たせています。
江戸時代の住民は屋敷に住む人達は少なく大部分は長屋暮らしです。
そこの長屋の家主というのは大変大きな力を持っておりました。
店賃の相談や生活の面、人の誕生、死亡、葬儀、その他多くの生活の面倒を見ておりました。
また、人々は菩提寺を決めてその寺の檀家になり、寺が檀家の人別改帳を作り寺社奉行が管理していきます。
これは現代の戸籍にあたります。
また農村部の5人組は、相互に協力しあって、年貢を達成する共同責任の組織でありました。
5人組は固く結ばれ親戚より常に上席に座る関係でした。
その上に村長が居り、領主が居ます。
農民にも檀家制度が当てはまり、お伊勢めぐりをするにも寺社奉行に届けて通行手形を出してもらいます。
そうした意味では、江戸時代は武士が全てを支配するといいうものではなく、町人は町人に、農村では有力農民に役人同様に責任を持たせ、それぞれまとめる形をとっていました。

明治時代~昭和

明治になり5人組の力は行政や福祉分野を含めて大きな存在に成っていきます。
当然戦争になれば、隣組としてご主人や子供が出征した後の、家族の面倒も心掛けることになります。
隣組とは10人程度の組織で町会を細分化し、食料・生活物資配給・防空活動などを通じて住民同士助け合っていました。
太平洋戦争では日本が戦争に負けて、日本を占領したGHQは、日本の兵隊が強いのは、町会が戦争に協力したことが大きいと考え、町会の活動を禁止にしました。
しかし、町会は無くても戦後の復興途上、食料事情が悪化する中での円滑な配給制度推進と利便の為に組織は活用されていました。
その後、町会が復活したのは、烏山エリアでは給田町会が最初で、昭和31年、烏山上町会が昭和32年という流れになります。
しかし、復活した町会には、かつて役所から福祉補助金を受けて、それを困窮する家庭に配分する仕事も無くなっておりました。
それぞれが社会福祉協議会や募金協会などに独立して行うようになって行ったからです。
町会の回覧板をみますと、日中戦争が始まる昭和6年頃から始まっております。
まだテレビなどの情報メディアがない時代、地域や役所からの情報伝達の有効な手段となり、統制・配給制度の状況下では、生活の鍵を握る必見情報の連絡手段でした。
回覧板のシステムは今と同じで、10軒から15軒程度の隣組で回覧していました。
そのため町会加入も高い率を誇っておりました。
現在の情報収集は多種多様であり、回覧板は必見の連絡手段では無くなっているようです。
とは言え、現在も回覧板は区役所や警察、消防、消防団、学校などからの生活に密着した地域の情報を伝え、安心・安全のための重要な役目を果たしております。
町会の会費は、その中から30%以上を地域の犯罪防止や火災の防止、消防団活動の助成、青少年の健全育成の事業への助成などとして有効に活用されております。
なかなか眼には見え難い所ですが、無くてはならない活動として続いております。